斎藤公子氏の生物進化発展の法則ーリズム運動

斎藤公子氏の生物進化発展の法則によるリズム運動とは

保育とは何なのか。
理論でなく、子どもを前にした実践。
これが大切だと斎藤公子氏は思われていたに違いないと・・・。

今、私が生きていることや子どもたちが生きていること。
子どものたち親、その又親。
必ず親がいる。
500万年前はチンパンジーが生きていたという。
このことを、どうさかのぼればいいのか・・・。
今いる子どもを前にしても、この姿は見えない。

斎藤公子氏は偉大で、いろんな保育の顔をもっています。
リズム運動。
描画。
ルソーにおける自然な保育。
全面発達を目指した保育。
あらゆるものの中で、目の前のものを斎藤公子氏は越えたかったものがあります。私は、そう思うのです。それは当たっていると思います。これから、斎藤公子氏の生物進化発展の法則によるリズム運動を中心に述べてみたいと思います。

個体発生は系統発生を繰り返す

斎藤公子氏が私に「個体発生は系統発生を繰り返すということを、はっきりさせなければ、保育は前へ進めない」と・・・。きっと、難しい見えないもの。この壁を乗り越えたかったのでしょう。母体内の胎児の写真を見て、やはり、個体発生は系統発生を繰り返していると確信されました。

現在の到達点は、どうなのでしょう。
たぶんヘッケルの「個体発生は系統発生を繰り返す」というのは少数派と思います。
でも、私も、個体発生は系統発生を繰り返していると思っています。
私は歴史的-社会的なものからの繰り返しにおける類的人間の発展ということになると思いますが・・・。
・・・歴史をみて、生きてきた人間を辿ってゆけば、そう思うのです。
斎藤公子氏は胎児の写真を見て、さあ、これからだと思っていたのでは・・・。

保育は、今いる子の姿に働きかけて明日へと向かおうとする力が美しい

多くの保育の問題で、保育は歴史が浅く、哲学、社会学、心理学などを紐解くことをしなければなりません。発達を先読みがいいのかどうか。ヴィゴツッキーの「最近接の発達領域」を私たちは意味を履き違えているのではないでしょうか。保育は目の前の発達から背伸びをして、次への発達へと子どもたちを向かわせようとする力が、保育士に働いている気がするのです。

本来は兄弟のような関係で、明日にでもできそうな領域を子どもたちが生活で営まれる中で獲得していく課題だと感じるのです・・・。なのに、立てば歩めの親心とはよく言ったものです。どうしても先を見据えてしまうのです。

過去からの人と水の関わり

水って人間にとって大事だなと私は思うのです。人間の身体のほとんどは水だし、人間が生きてきた経過を辿っても水というものが大切だとわかります。
田畑を耕し、水をまき、いろんな作物を昔から作ってきました。このことを子どもに置き換えて考えてみたのです。

斎藤公子氏は、子どもの遊ぶところに水があると・・・・。まあ、半信半疑ですが、でも、子どもは水が好きです。4月入園してきた子どもたちは慣れずに泣きじゃくり、部屋より外を求め、水があれば、水のところで遊んで泣き止むこともあります。水が嫌な子もいるかもわかりませんが・・・。

人間は農耕をはじめ、水の近くに住居を構え、水車を考え出し、麦を粉にしたりしました。水という力を利用してきたのです。これは水に興味があったからではないのでしょうか。子どもたちも、同じように水に親しみ、遊ぶ中で水に鍛えられていくような気がしています。
斎藤公子氏は私に「子どもは水のところへ行くの。何故だか、水のあるところへ行くの。これはわからないけれど・・・、人間は水のあるところを選んで住んできたことに関係があるのだと思うの。でも、残念ながらはっきりとはいえないの。」といわれました。斎藤公子氏の保育論に「水」というものが貫かれていると思います。

場面場面の思い込み

さて、思い込みは人生の中で、いくらでもある・・・。
なんという前置きよ。
Aという人物のことを周りがいい、鵜呑みにして、Aという人物を知ったかのように思うことです。

しかし、人生を狂わせたように過去を振り返って思うことがある。
35年くらい前に斎藤氏のことを大阪の保育者連中の集まりの中で聞いてしまった。
「斎藤は針鍼灸師になった」とか、「独裁」「斎藤はロールマットをやりだした。」
これを聞いて、斎藤公子氏は変わってしまったと思ってしまいました。

私は羽曳野の共同保育所主催でリズム運動があり、そこへ参加しました。
斎藤氏はロールマットを参加者に指導していました。
私は斎藤氏の前でロールマットをやり、「うん、若い」と、まあ褒められたんでしょうね。
しかし、それ以来、リズム運動はしたくなくなったのです。
保育園でも、私から進んで、一切しませんでした。
ロールマットが悪いわけでもないのに・・・。私は大阪の連中が言っていたロールマットをやりだしたという言葉が当たっていたと感じてしまったのです。もうリズム運動は保育でしないようにと・・・。

大阪から滋賀の保育園にお世話になり、何故か、音楽教育の会の方々のリズム運動を見てしまったのです。遠目で見てみると、私が知っているリズム運動との違いは「どんぐり」「かえる」「あひる」だった。音楽教育の会と斎藤公子氏とは同一のリズム運動だと思っていましたから、斎藤氏は変わってしまったんだと!
リズム運動は発達に関係なくされているように思えました。唯物的でなく、観念的にされているように感じました。まあ、どうでもいいこっちゃ。わたしゃ、一抜けた。約5,6年はリズム運動を保育ですることなく過ごしました。

リズム運動の何が違うのか

さて、そのリズム運動の違いですが、「どんぐり」は寝返りをしながらするのですが、転がるだけのどんぐりになっていました。
「あひる」はしゃがんで歩き、踵が上がっているかどうかをみるのですが、足を前へ延ばして歩くのです。背骨に負担をかけ、これでは踵が上げにくいです。
「カエル」は両手両足を床について、上へ飛ぶのですが、なんと、前方に飛びながら、両足を空中で叩くのです。これはでんぐり返りになるときもあり危険だと思っています。

とにかく、5,6年は悩み、リズム運動から逃げていました。
しかし、偶然に梅田の本屋で「さくら・さくらんぼ」の本を見たのです。
まだ売っているんやと、まあ、保育界ではベストセラーじゃあないでしょうか。その本には改訂版と記されていました。


「改訂版」、この文字になにか感じるものがありました。恐る恐るページを開き、「やったー!」と思ったのです。
すぐに買って、古い私の持っている本と見比べました。
そこで、はっきりしたのです。

 

「さくら・さくらんぼのリズムとうた」斎藤公子著の本があります。
新しく買った本は改訂版と記されています。
表紙は、まったく一緒。
見ていくと違いは・・・・。
リズム運動は一緒。白黒の写真も一緒。
さすれば、どこが異なるか。
歌でした。
リズム運動のページは一緒なのに、歌だけが新しい歌があったりしました。
歌のお陰でページ番号が違うのです。
これを見て、斎藤公子氏のリズム運動は変わっていないと確信したのです。
もし、リズム運動が変わっていたら、歌同様にリズム運動の写真も変えていたでしょう。
カエルが両足上げて飛んだり、どんぐりは転がるだけ、アヒルは足をのばして進むようなものに変えていたはず。
これで、今までのわだかまりは消えそうな・・・。
斎藤公子氏はリズム運動を変えていないと・・・。
私は、てっきり斎藤氏が変わったんだと思ってしまいました。
周りから、斎藤は針鍼灸師を取り入れたとか、独裁だとか聞き、私は本当にしてしまった。
ですから、それ以来、リズム運動はやりたくないようになった。
滋賀県の保育所へ通うようになって、わずか三カ月ぐらいの時に目の前でみたアヒルとカエル。
これが変わったリズム運動かと思ってしまった。
実は変えたのは音楽教育の会だった。

両者から私の思う疑問を問うしかない

斎藤公子氏は、そのままの「生物進化発展の法則のリズム運動」でした。
確認のために斎藤公子氏に手紙を送り、確かめました。
返事は、「私は変えていない」とのことでした。
そして、東京の事務局だったか音楽教育の会へ電話で尋ねると、斎藤さんは変わった。
以前は一緒にしていたが、斎藤さんは能力主義になったから離れたと述べられた。
おまけに、大阪の茨木市にあるほづみ保育所へ行ってみてくださいというようなことを言われました。
ギョギョッ、私が一年間勤めたところではごんざりませんか。
辞めたところへ誰が行くんやぁ。
滋賀県の音楽教育の会へも3回足を運びました。
言われたのは、県によって違う・・・。
これがどういうことか理解に苦しんだ。
確かに対象者が違えば、自ずと違うでしょう。
しかし、音楽教育の会は、こういうリズム運動で取り組んでいるというものが見えなかったし、聞くこともできなかった。
問題は曲が一緒で、動きが違う。
音楽教育の会を支持している方々と、斎藤公子氏を支持している保育士とは異なる動きのリズム運動をするのです。
子どもが一番の迷惑でしょう。
クラスの担任の保育士によって、曲が流れれば同じ動きをするはずなのに、別のリズム運動をするのですから・・・。私は受け持っているクラスの子ども達に斎藤公子氏の生物進化発展の法則のリズム運動を行い、隣のクラスは音楽教育の会のリズム運動をしています。子どもにとってどうか。リズム運動とは・・・。子どもの姿を見て考えていかなくてはなりませんが・・・。
背伸びしたカエルやアヒルをやって、子どもがすれば出来ないことができたと達成感を感じるでしょう。
しかし、それは発達のハードルを高くして、子どもが成し遂げただけなのです。発達の先回りをしているのです。子どもはさせれば、やってしまうのです。

本来の子どもの姿はどうなのでしょうか。
エンゲルスのいうように直立二足歩行によってサルから人間へ移行し、歩くことによって手が自由になり、道具を使うようになる。道具を使い、よりよい道具を考えたりし、脳が大きくなりました。
ヒトは500万年前から歩き出して人間へと進化してきました。このことが「生物進化発展の法則」のリズム運動の原点ではないでしょうか。
私は、そう思うのです。


もう一度、ヴィゴーツキ―の「最近接発達領域」という言葉を考えてほしいと思います。ただ単に、次への発達を乗り越えるというものではないというとを・・・。次の時間、明日どうするかであり、兄弟関係で年上の子を真似して獲得するというような横への拡がりが膨らめば縦への発達が見えるということを。

 

生物進化発展の法則のリズム運動を考えられたのは斎藤公子氏です。系統発生から魚類、両生類、爬虫類、哺乳類と進化してきました。これらをもとにリズム運動を考えられました。
足の親指が直立二足歩行によって変化し、人間になったといえます。チンパンジーは人間の足とは親指の位置が違います。寝返り、両生類の這い這い、ウサギ、アヒルなど足の親指で蹴ることを重きに置いています。
背骨というのは大事なものです。体を支えている柱とも言えます。ですから体をくねらせて、背骨を大きく動かすことをリズム運動でとらえています。
生物進化発展の法則のリズム運動は斎藤公子氏によるものです。決して音楽教育の会によるものではありません。
リズム運動の曲は同じでも、音楽教育の会と斎藤公子氏の生物進化発展の法則のリズム運動とは動きが、少し違うのです。
音楽教育の会のリズム運動は、その地域によって子どもに合わせて行っているようです。
ですから生物進化を発展的にとらえてのリズム運動とは違います。
どちらがどうってことは・・・。
難しいですね(笑)。私は斎藤公子氏の生物進化発展の法則によるリズム運動がいいと思っています。
ただ、斎藤公子氏から直接聞きました。「ほっておきなさい。」といわれ、「子どもを見れば、どちらが正しいかわかるよ」、「きっと、わかる。」と・・。
私は2008年までしか・・・、もうリズム運動は知りません。私はうどん屋を仕事としています。今、どうなっているのか、現状はわかりません。
保育士が、ただ研修で学んできたものを鵜呑みにして子どもに与えることはよくないと考えます。保育士自身が、子どもにとって、どうなのか、どうあるべきかを考えなくては子どもがかわいそうだと思います。

繰り返しになりますが、斎藤公子氏は「個体発生は系統発生を繰り返す」ということを証明したかったようです。これが正しくなければ前へ進めないと・・・。斎藤公子氏は胎児の写真を見て確信されたようです。「胎児の写真を見て、そう思ったの。」と言われたことを私は確かに覚えています。

私は、30年の間に乳児の発達の月齢差が気になっています。30年前は歩行が1歳3ヶ月といわれていました。そして3ヶ月の個人差はあるとの見解です。今は、もう1歳では歩いているのです。寝返りも6ヶ月より前にしているのです。ハイハイをせずに座位を覚えてつかまり立ちをするのです。これらの発達の道筋を軸にすると問題が生じます。そうならないように系統発生的なものの考え方が大切だと思います。

つまり、首が座り、寝返り、這い這い、座位獲得、つかまり立ち、歩行と発達の順序性は変わってはいけないと思い、ただ、歩きたいから歩くのが人間の発達ではありません。順序性が欠落し、背骨を大切に考えず抗重力筋も考えずに座らすというところのものに疑問を抱いています。地球には重力が働き続けているのです。人は重力に添って立ち、歩くのです。そのためには体をつくることが大事だと考えます。